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2013.07.17

田中信彦のうつわ

「淡くにじんだ風景」

淡い色彩や釉薬をあしらった半磁器の作品。ここ5、6年田中さんが作る作品の特徴だ。その独特のにじむラインを眺めていると、器というキャンバスに水平線や地平線を描いているようにも思える。また、民藝で使われる伝統的技法の飛び鉋を使ったテクスチャーは、色彩に奥行きを与え、水面の揺らぎのようにも見える。それらぼんやりとした境界と自然界のどこかに存在する色彩を身近な食器に閉じ込めているようだ。
田中さんの工房には自家調合の釉薬が約30種類あり、その中から主に使うのが5、6種類。それに下絵の具で色を施し、美しい色彩が現れる。焼き方や釉薬のかけ方などによって、思いもよらない色が出ることがある。焼成による形の偶然性には興味がない田中さんも、色彩の偶然の出会いは楽しんでいるようだ。 以前は、いかにも土ものといった作品が中心であった。
独立して18年。当初の作風と今を比べてもその違いは明らかだ。それは田中さん自身のチャレンジ精神と柔軟な思考が大きいと思えるが、本人曰く飽きっぽくて同じことを続けていくのが苦手らしい。釉薬の開発然り、常に新しいことにチャレンジしてきた。

とにかく納得いく色が出るまでやる。個展でも新作を出してはその反応をしっかりと分析し、また次の新作につなげる。日々いろんな側面から試行錯誤を繰り返してきたが、創作活動の当初から曲げずに意識してきたものもある。それはシャープさだ。土ものや半磁器問わず、田中さんがずっと意識してきたものの在り方。
TIME & STYLEの定番として販売している“石目食器”は、土もののゴツゴツとした印象を持つが、販売から約10年経った今も古さは感じない。そのシャープさがどこかモダンな印象を与えており、いつの時代にもしっくりと馴染んでいる。同時に、デザイン性と実用性の落としどころを常に追求している。使われてこその世界。その両立の際を探るため、様々なアイデアが添えられている。例えば、ポットの把っ手についた突起は指の引っかかりを考えたもの。片口の口辺りの反り返しも使い方を考えてのもの。使い方や使われ方をいつも想定しながら新たな創作活動と向き合っている。

「二人のカリスマ」

田中さんがもっとも影響を受けた陶芸家と言えば、加守田章二氏とルーシー・リー氏だ。
加守田章二氏は、益子で創作活動を送り日本陶芸界でも異才を放った陶芸家。1983年に49才の若さでこの世を去るが、生前は数々の賞を受賞すると共に美術館やギャラリー、百貨店などで幾多の個展も開催された。灰釉陶や象嵌の力強く独創的な土ものの中にシャープさが共存している作風は、多くのファンの心を引きつけた。田中さんもファンの一人で、学生時代からよく真似をした。それが作品にも現れている。
ルーシー・リー氏との出会いは衝撃的だったと田中さんは言う。

ルーシー・リー氏が日本で初めて大々的に紹介されたのは、1989年にファッションデザイナーの三宅一生氏の親交によって、大阪市立東洋陶磁美術館で開催された「Issey Miyake Meets Lucie Rie」展だった。当時、京都の訓練校で学んでいた田中さんは、大阪で開催されていた展覧会をたまたま目にする。その瞬間、作品に度肝を抜かれる。独特の繊細さとバランスによるアウトライン。緻密に計算された土と釉薬の美しさ。しかもイギリスで、あの小さなおばあちゃんがこのような作品を作っているのかと。20世紀を代表する陶芸家と言っても過言でない。田中さんがお客さんから言われる言葉がある。「ルーシー・リー好きでしょ?」。素直に「はい、大好きです」と田中さんは答える。片やアートピース、片や日常使いの食器、リスペクトしてはいるがルーシー・リーとの立ち位置の違いは明確に意識して制作しているからだ。加守田章二氏とルーシー・リー氏この二人が田中さんの永遠のカリスマである。そんなカリスマ達と同じ世界に足を踏み入れたことに幸せを感じているはずだ。

「陶芸部」

田中さんの大学時代は、世の中にバブルの兆しが見え始めていた頃。キャンパスの中心は、テニスサークルやシーズンスポーツなどのアクティブなサークルの全盛期であった。しかし小さい頃から人と同じことをするのが嫌いで、ものを作ることが好きだった田中さん、そんなアクの強い個性から周りの学生たちを横目にただなんとなく陶芸部に入部する。そして陶芸の魅力に引き込まれてしまうのに時間はかからなかった。大学へ行っても、授業そっちのけで窯場にずっといるような日を送る。当時は陶芸部にも夏合宿があり、毎年益子の陶芸民宿に滞在しては、延々と陶芸に向き合う夏を4年過ごした。時代はバブル。世の中は明るい。先輩や周りの人たちが卒業と同時に益子へ居着き、作家として活動する光景を沢山目の当たりにしていた。そんな好きなことに打ち込める暮らしや環境に憧れを感じながら卒業を控えていた。

「基礎・技術・感性」

周りは就職活動真っ只中。もちろん、田中さんの思考に就職という文字は見当たらず、陶芸の道しか考えていなかった。やはり益子・・・と思っていた時、たまたま雑誌で目に入ったのが京焼の専門学校の募集。期間は1年(コースにより異なる)。京都府立陶工高等技術専門学校は、府が運営しており、京焼職人の後継者を育てる学校だった。なんと、当時の授業料は無料。さらに、誰もが憧れる京都での生活も間違いなく付いてくる。それ以上に、田中さん自身が陶芸をやるならしっかりと基礎を修得したいと思っていた。
陶芸部での活動と言っても、やっているのはほぼ自己流。誰にもちゃんと教わったことなどなかった。ここで京焼の高い技術も学べる。出願しない理由は見あたらなかった。受験者や合格者のほとんどは京都や他産地の窯元の子息だったが、そこに見事田中さんも合格し、1年間みっちり基礎や大もとになる部分を学んだ。1年はあっと言う間だった。
卒業後は、信楽近くの作家の工房で轆轤職人として2年間働いた。初めて社会に出て、陶磁器工房という環境で働けたのは田中さんとしては大変プラスだった。1日に100個、200個と同じ形で同じ重さのものを作る量産の現場。数を売るということのコスト意識。無駄な動きなど許されず、スピードと技術と精度がものをいう現場。楽しくはない。ただ黙々と機械に近いことを2年間ひたすらやった。

現在の活動とは対角に位置するが、若いうちに経験出来てよかったと田中さんは振り返る。一日に100個単位の作品を作れるその技術は現在の活動の端々に活かされている。
京都、滋賀の3年間。一回りも二回りも成長することができ、先輩や知り合いがいる益子へ行こうと決めていた。が、時代はバブルとはいえ職人の見習いの給料でお金がなかった。
東京の実家へ戻り、益子への資金作りのための仕事を探した。出来れば陶芸に関わる仕事と思っていた。そんな時見つけたのが吉祥寺にあった吉祥寺アトリエ飛行船陶芸研究所だった。ここは約200名の生徒に陶芸を教えていた。ちょうどここの講師を募集しており、採用されたのだった。ここでは3年間働くことになるが、所長であった板橋廣美氏はオブジェ作家として卓越したセンスを持っており、一線で活躍していた。ここでは技術はもちろんだが特に感覚的なものを学んだ。よく言われたのは“技術と知識とセンスの3つをしっかりと身につけることが大事”ということだった。さらに月1回テーマをもとにオブジェやうつわ制作の企画があり、とにかく鍛えられた。周りの講師も九州や多治見など焼き物の産地から上京してきた者も多く、各地の特徴や技術などを知ることもでき刺激的だった。京都で基礎を学び、滋賀で実践を通した技術を修得し、吉祥寺で感覚を養い、気がつくと6年が経っていた。すでに田中さんの中で益子へ行く意味は消えていた。

「開窯と出会い」

バブル景気は崩壊していた。そんな中、1994年に埼玉県入間市に開窯し、作家活動をスタートする。同時に陶芸教室も開き、現在も約40名の生徒をかかえ陶芸の楽しさを伝えている。2000年頃からは、都内近郊の百貨店やギャラリーを中心に個展や二人展の開催が多くなり精力的な活動が増えていった。そして2004年、玉川髙島屋のクリエイティブ工房にて二人展を開催する。

その時、同年代の男性に「うちのお店でちょっと話をしませんか」と声を掛けられた。店の名はTIME & STYLE RESIDENCE。その男性はTIME & STYLEの代表の吉田だった。当時の田中さんの作風と言えば、思いっきり土ものをやっていた。片やTIME & STYLEは白磁のプレーンなデザインが多く一見、相反するもの同士のように思えるが、お互い共感した。それは、土ものではあるが非常にニュートラルな使い方を想定した形や、田中さんが当初から意識してきたシャープさが互いの共通言語となり、TIME & STYLEが提案するライフスタイルにマッチした。その後田中さんが作っていた石目食器にTIME & STYLEがデザイン提案をして定番化されることになる。
以後、TIME & STYLEとは、石目食器の販売と共にショップで隔年の個展も開催している。過去2回の個展は大変盛況だった。2年前の前回は、まとめ買いのお客様も多く、完売に近いほどだった。今回3回目の個展では、約400の作品を展示する予定だ。和洋問わず、さまざまな料理を受け止める、田中さんの軽やかでモダンな器を、この機会に是非みてほしい。


作家来店予定日:8月2日・3日・9日・17日・18日・23日
日程変更の場合がありますので、ご来店の前にお問い合わせください。


田中 信彦 Nobuhiko Tanaka
1966 東京都練馬区生まれ
1990 立教大学卒業
1991 京都府立陶工高等技術専門校修了
1991〜93 滋賀県八風窯勤務
1993〜95 吉祥寺アトリエ飛行船陶芸研究所講師
1994 埼玉県入間市に開窯
2001〜03 日本クラフトデザイン協会会員