Boffi | De Padovaとタイムアンドスタイルによって生まれたTime & Style ēditionは日本の伝統と職人の熟練した技術によって、これからのものづくりの進化を示唆しています。タイムアンドスタイルは20年以上に渡り、日本各地に連綿と継承されている伝統技術を生かした製品づくりを続けている日本のインテリアブランドです。
タイムアンドスタイルの工場がある北海道は日本有数の寒冷地です。厳しい気候の森で育った樹木は木目が緻密で強靭な性質を持ち、北海道ではその恵まれた自然資源を活用して木工技術が発展してきました。日本には1,000年以上前に建てられた社寺仏閣が現存しているように、匠の技術が脈々と受け継がれています。この偉大な遺産は先人への敬意とともにタイムアンドスタイルのものづくりの源となっています。
Time & Style ēditionはこれまでのデザインを超え、現代の視点を持ちながら、日本の木工技術の素朴で慎ましい感性を私たちに伝えます。コレクションは無垢材のテーブルから椅子、精緻な技巧によるキャビネット、手漉き和紙による照明に至り、Boffi | De Padovaの洗練されたプロダクトと調和するアイテムが取り揃えられています。そのすべての製品は一つひとつがアイデンティティを持ち、インテリア全体を創り上げます。
繊細でシンプルな美しさを持つTime & Style ēditionは、職人の技術を大切にしています。設計プロセスはまず素材の風合いや個性をどのように生かすかを見極め、デザインは日本の木造建築や古典技術に倣い、上質で長期に渡るデザインの耐久性を追求しています。デザインの細部や職人のものづくりの精神性へのこだわりにおいては、Boffi | De Padovaとタイムアンドスタイルは哲学を共有し、一人ひとりのすまいに細やかに対応する家具を作り出しています。これまでの長い歴史の中で、イタリアと日本のデザイン文化は、古くからの手仕事への深い敬意と卓越した品質を維持するために力を尽くしてきました。そして美しく構築されたプロダクトを完成させることを追求してきました。Time & Style ēditionは現代の私たちの暮らしを豊かにすることを目的とし、これまでに培われた技術やものづくりの精神性をいつまでも持ち続けます。
タイムアンドスタイルが大切にしているのは、日本固有の伝統文化を見つめ直し、多くの先人が築いてきた思想に基づく人間としての生活の知恵や技術を学ぶことです。この学びを、現代の私たちの日常生活にふさわしい新たなものづくりに生かし、日本のみならず世界の国々へ伝えてゆきたいと考えています。
1985年にドイツでの活動をスタートしたタイムアンドスタイルは、1990年にベルリンで会社を創業しました。ドイツでの活動を経て日本に戻り、1992年に日本法人を設立。約7年間の異文化の地での経験は、生まれ育った日本という国の真価を見つめ直す客観的な視点をもたらしました。1997年、東京にTime & Style1号店を開業し、自らの製品を顧客に直接紹介しながら日本でのものづくりを本格的にスタートさせ、日本各地の協力工場とともに品質の高い製品を製造してきました。2008年には北海道・旭川に自社工場を設立し、製材から乾燥、木取り、木組み、研磨、仕上げに至るすべての工程を一貫して行っています。機械の使用は最小限に抑え、可能な限り職人の手仕事によって製作し、妥協せずに時間を掛けて製品を仕上げてゆきます。2012年に中国・上海にショールームを、2017年3月にはオランダ・アムスルダムに自社の店舗を開設しました。オランダ店では日本人スタッフと現地スタッフによる日本式のサービスを基本とし、お客様一人ひとりと対話を重ねながら、製品の特徴や機能性、ものづくりの背景をご案内しています。
タイムアンドスタイルでは、家具を中心に、照明器具、テーブルウェアやタオル等、生活の中で必要とされる道具類を幅広く取り揃えています。製品は多岐に渡りますが、小さなティーカップから椅子やテーブルまで、全てが一貫したコンセプトに基づいて作られたオリジナルプロダクトです。現代のライフスタイルと日本の伝統的な美意識の融合をテーマとし、時代の変化に左右されない普遍性、人々の多様な日常生活に溶け込む包容力、生活道具としての機能性といった、長期の使用に堪える総合的な品質を追求したものづくりに取り組んでいます。
店舗においては、現代美術の展示を通して創造性の素晴らしさに学び、また、伝統的芸術である盆栽を同居させることで過去と未来が繋がれたコンテンポラリーなインテリア空間を創造し、古典と現代との融合を試みています。和でも洋でもないニュートラルな佇まいを見せる一方で、精緻なディテールの端々や製品が纏う凛とした空気の中からは、どことなく日本らしい趣が滲み出ています。志を同じくする全国各地の職人たちと新しい伝統のものづくりへの挑戦を続け、時代や国境を超えた製品を作り出しています。
The sensitive light chairは繊細さと簡潔さ、静かで清楚な存在感を持つ椅子を目指して製作しました。何よりも軽量で強度と耐久性を兼ね備えた椅子であること。誰でも片手で持ち上げることができ、他の部屋や違うフロアへの移動も容易にできる軽さであることが目指した姿です。The sensitive light chairをデザインする上では、品格を保ちながらひっそりと佇む姿を思い描き、全ての部材を極限まで細く削り込むことにしました。全体の強度を確保するため、日本の古典建築の木組みやヨーロッパのウィンザーチェアの構造を取り入れています。細い部材で構成された椅子を神社や寺院の建築物に見立て、繊細で美しい清楚な佇まいを大切にして形にしました。
日本の住まいに椅子が定着したのは今から50年くらい前です。一方で世界各地にはヨーロッパを中心に椅子の長い歴史と文化があり、数多くの美しい個性的な椅子が存在しています。これまで世界中で多くの椅子がデザインされてきた中で、日本人が作るこれからの椅子の在り方を自らに問うことは重要なテーマだと考えています。The sensitive light chairは、日本の美意識と古典建築に着想を得た構造が、椅子という小さなスケールで具現化したものであると感じています。
今から16,000年から3,000年前までの縄文時代はまだ中国や大陸からの影響を受けておらず、純粋な日本人の祖先が暮らしていました。木の実を食し、木で道具を作り、木の家に住んでいた縄文時代の日本人はまさに「森の民」であったと言えます。
無垢の木材だけで構成されたこの椅子は、森林に立つ木々のような存在感を湛え、シンプルなデザインでゆったりと座れることをコンセプトとしています。椅子の製作工場がある飛騨高山地方は、曲木の成形技術に優れた地域です。一般的な曲板は1mmほどの薄くスライスした板を1枚1枚接着剤で重ね合わせてから高周波プレス機で成形する合板ですが、飛騨高山地方では無垢の木材をスチームで柔らかくした型にはめ込んで曲げてゆきます。無垢の曲木は木の美しさと強度を生かすことができますが、素材の質や木目を丁寧に見極めて加工する高度な技術と設備が必要です。地域や工場、そして職人たちの技術が結集し、シンプルでバランスの取れた、森の木立のような美しい椅子が実現しました。
デザインのアウトラインはA chair in the forestと同じですが、A chair outside the cageの背板は
ラタンを籠目に編み込んだ軽量な素材で作られています。見た目の軽やかさとラタンの籠目が紡ぎ出す透過性のある佇まいが空間の中にモダンなコロニアル・スタイルの空気感を生み出し、ノスタルジックな雰囲気を漂わせています。モダンとコロニアル・スタイルが融合する姿は日本と東南アジアとの繋がりを感じさせる新しいデザインの在り方だと言えます。
全体のアウトラインはそのままに、素材を変えることで変容する存在感と機能性を、この椅子のデザインテーマにしました。多くの椅子づくりにおける命題として軽量性の追求が挙げられます。そのために部材を細くしたり構造を単純にしたり、樹脂素材や軽いアルミのパイプを加工したフレームを用いるなど、多くの試みがなされてきました。強度の確保はもちろんのこと、体格や年齢の異なる多様な人々が座ることを想定した座面や背板の角度など、エルゴノミクスに基づいた機能的要素も重要な課題です。椅子というテーマだけでも様々な視点の価値観が存在していますが、普遍的な存在感を持たせることも大切だと考えます。
この椅子を製作している飛騨高山地方は古典建築の大工や木工職人が多く住み、匠の里として知られてきました。「日本書紀」や「源氏物語」にも飛騨の職人たちが真面目で優れた技術者であったことが記されています。家具産業のほかに伝統工芸の一刀彫や飛騨春慶の漆器なども今日まで連綿と受け継がれており、この地の職人たちの精緻なものづくりの精神と情熱は消えることがありません。
もともと日本の住居では椅子は使われておらず、伝統的な日本家屋の居室には、畳が敷かれ、畳の上に直接座って生活してきました。日本人の生活に家具が登場したのは今から150年ほど前の文明開化が進むころ、公共の施設で西洋の椅子やテーブルが使い始められてからのことです。戦後の高度経済成長期に住居の床が畳からフローリングへと変わるにつれて椅子やテーブルを使った西洋式の生活習慣が浸透してゆきました。現代の日本の住居からは畳の部屋が少なくなりましたが、玄関で靴を脱ぎ、床に座る習慣はほとんどの家庭に残っています。
座椅子は日本の生活文化の中から生まれたものの、正統な伝統様式の空間に調和する意匠性を持ったものは多く存在しておらず、成形合板で作られた座面と背もたれが一体になった簡易的なタイプがほとんどです。タイムアンドスタイルは4本脚のダイニングチェアをデザインする時と同じように、空間を象徴するエレメントとなる、日本的でありながら現代性にも通ずる品格あるデザインの座椅子を作りました。一般的な座椅子よりも座面を少し高くすることで座り心地を高め、また、側面に前後の短い脚と座枠を3点で支持し強度を高める横方向の貫を設けました。このような側面の貫の構造はこれまでの座椅子にはなかった新しいデザインであり、その存在感に軽快さを与えています。背もたれの縦格子は四角棒の角を手作業で1本1本研磨してわずかに丸みを持たせました。この面取り加工はとても多くの時間を要する精細な作業になりますが、角棒の背当たりの感触を柔らかくし、縦格子の意匠に日本的な緊張感を持たせて、椅子としての実用性とデザイン性を同居させています。
無垢材の木のフレームに厚手のヌメ革のテンションを生かしてデザインされた椅子の代表作に、デンマークのデザイナー・ボーエ・モーエンセンが1959年に手掛けたSpanish chairがあります。ハンス・J・ウェグナーが明朝の椅子をモデルにしたChina chairやY chairをデザインして現代の椅子の潮流を生み出したように、椅子は古典をモデルにしたものがほとんどです。SunsetはSpanish chairをモチーフとして、木フレームと厚手のヌメ革という2つの素材をシンプルに構成させた、日本人が考える新しい椅子への挑戦です。オーク材のフレームを広島県の椅子工場で加工し、兵庫県の姫路市で作った厚いヌメ革を同じ兵庫県の豊岡市で裁断縫製しています。それぞれの日本国内の地域産業の特性を生かし、各所で仕立てられた素材を組みわせることで、日本でしか作れない新しい形の椅子を実現することができました。幅広のアームにはわずかに膨らみを持たせ、優しい触感に仕上げています。2枚の厚革を重ねて縫い合わせて1枚のシートに仕立てた座面は、ゆっくりと時間をかけながら身体に馴染んでゆきます。これほどの厚革になるとどんな工場でも加工できるわけではないので、革のカットから縫製までの一連の工程は、パイロットが使うフライトケースを製造する豊岡の鞄製作所で行っています。シートは、幾度も修正を繰り返し、美しい張り感と快適な座り心地を実現する繊細なバランスを探りました。おおらかな存在感を湛えた、長く寄り添うことのできる椅子を目指しました。
このテーブルはデザインから発想してできあがった製品ではなく、自らの手で木を削り、触りながら木材の特性を理解し、形状を見つけてゆくプロセスの中から生まれました。どのようなスタイルの空間にも融合し、無垢の木材の柔らかな曲面と現代的な緊張感のあるラインが共存する製品を目指しました。Moonの天板は端に向かって緩やかに傾斜がついており、アールを描く小口に自然に繋がってゆきます。図面上でこのラインを示したとしても、機械加工だけでは有機的な美しい曲面を持った製品は生まれません。長い間、角のある直方体をデザインの基本構成としてきたからこそ、面と面をどのように繋いでゆけばしなやかで緊張感のある美しい曲面を持つ製品ができるのかを導き出すことができたのかもしれません。木は有機的な素材であり、使う人に優しい手触りを与える重要性を再認識しました。
無垢の木の特性上、面の広い天板が湿度と温度の影響を受けて伸びたり縮んだり反ったりするので、必ず天板と脚の接続部に誤差が生じるからです。Moonは、天板とフレームの間に細いスリットを入れることで天板が浮かんでいるかのように視覚的に切り離しつつ、天板の小口の曲面とフレームと脚のコーナーの曲面が同調して全体が渾然一体となるバランスを探り、普遍的な存在感を持つテーブルです。
神社に立つ鳥居の意匠と構造をデザインモチーフとしたテーブルです。鳥居は簡潔な形状をしていますが、風雨に強く地震の多い日本でも倒れることがなく、美しい造形をしています。大きなものでは、柱に直径60~80cmを越える樹齢100~500年の杉や檜の丸太が使われます。
このテーブルは部材の厚みを感じさせないように全ての端部を薄く細く作っています。大きな無垢板の天板もできるだけ薄く見えるように中心から端に向かって薄く削り出しています。端部は10mm以下まで薄くしてありますが、実際には35mmの板厚があり、強度は十分に確保されています。天板と2枚の脚を直接繋いでいるのが天板裏の1枚の幕板です。2枚の脚も端が薄く見えるように、全体を飛行機の翼のような流線形に削り出しました。そして最も印象的な意匠となっている2枚の脚を真ん中で繋ぐ貫も同様に細く削ることで、テーブル全体の意匠に統一感と軽快感を持たせました。
Sea of tranquilityは月に存在する海の名称です。1969年7月20日にアポロ11号によって人類が
初めて月面着陸した場所がSea of tranquility =「静かの海」です。日本らしい簡潔な意匠がもたらす静けさと月の静かな海のイメージを重ね合わせ、無垢材のテーブルでありながら軽快で、洗練された静けさを湛えたテーブルです。
インドを起源とし中国で開花した仏教は1,500年ほど前に大陸から海を渡って日本へと伝えられました。また中国で文化や思想を学び日本へ戻った使者によって、建築、美術、工芸などの技術が日本全国に広められました。境内に複数の寺院が建つ島根県東伯郡の三徳山三佛寺には、最も奥まった絶壁の窪みに、懸造りで建てられた投入堂というお堂があります。垂直に切り立つ岩肌に建造物を建てることは大変困難で危険を極めたであろうことが容易に想像できます。境内にある地蔵堂と文殊堂の柱は垂直な支柱と水平な貫がほぞで繋がれており、その構造美は目を見張るものがあります。この三徳山三佛寺のような、美しい自然の中の絶壁にいくつかの寺院が建ち並ぶ姿をイメージして、6種の異なるサイズで構成されたローテーブルのコレクションを製作しました。
日本の古典的な木造建築に見立て、4本の細く長い脚の上に天板が乗る構造にしました。脚に開けた穴に貫を差し込み、縦横の部材がぴたりと揃うほぞ組を綺麗に仕上げるには、最後の加工を全て手作業で行わなければなりません。木軸パーツを使用したダボ組のプロセスの何倍もの手間と時間が掛かる作業です。また、天板の縁を緩やかに立ち上げることで蓮の葉のようなこぼれ留めを施しました。無垢板を削り出して天板全体の一体感を保ちながら、個性的な表情を加えています。天板は大きなものから小さなものまで様々なサイズを揃えました。高低差もあり、それぞれの天板面が重なり合って、表情豊かな景色を描き出します。
畳の上に直に座る日本人の生活に、座卓は欠かせないものでした。日本家屋の「座敷」は中央に座卓を置き、床の間には花を活けて掛け軸を掛け、季節のしつらえで客人をもてなす、日本家屋独特の空間です。主人が趣向を凝らし、季節や歳時にまつわる植物や品ものを飾って客人を迎え、客人はそのしつらえから主人の感性を読み解きます。現代の日本の住まいはそのほとんどが西洋式のスタイルに変わり、座敷の位置付けはソファが置かれるリビングルームへと移り変わってゆきました。それは近年まで続いていた日本の古典的な客間として存在した座敷の名残が現在でも感覚的に続いているからかもしれません。Moonはモダンな存在感の中に優しい木の表情と触感を感じることのできるローテーブルです。日本家屋の座卓としても現代的な柔らかい表情の家具と言えます
今上天皇は初代の神武天皇から数えて126代目にあたります。約2,700年もの間、日本では天皇家が万世一系を維持し、一度も王朝を交代することなく続いてきました。ローマ帝国でさえも1,000年の歴史ですから、日本の天皇家が世界最長の王朝としてどれだけ長く日本を治めてきたのかがわかります。天皇家とその王朝が長く存続してきたことは、現在の日本文化を語るときにも、避けて通ることのできない文脈となっています。
直径と高さが異なる、丸い小テーブルをいくつも置いてゆくと不規則な配置の中にも規則性のある美しい繋がりが生まれます。それぞれのテーブルは重なり合って連なり、この小さなテーブルの繋がりが大きな流れとなる様子から、Imperial familyと名付けました。単体でサイドテーブルやローテーブルとして使用することもできますが、組み合わせることで多様なしつらえが可能になります。天板の縁を食器のリムのように繊細に削ってこぼれ止めの役割を与え、神聖な蓮の葉のような印象に仕上げています。部材を構成している無垢材は湿度や温度の影響を受けて必ず伸縮したり反ったりするので、その変化を少しでも抑えることが重要です。
東京にある日本民藝館を訪れると、日本人が古くから生活の中で使用してきた道具や工芸品を見ることができます。その実用の品々は展示ケースの中に注ぎ込む自然光を受けて、とても美しい姿をしていました。光の陰翳や薄明りの中に浮かぶ艶のある漆器の表情、さびて枯れゆく森羅万象に美しさを感じ取るのは、日本人独特の感性なのかもしれません。日本の美意識を伝統という枠に囚われずに現代に通じる日本の美として表現することを目指したのがSilent cabinetです。
一般的なショーケースはLED照明で内部を明るくする形式がほとんどですが、人工の光に照らされた収納物は決して美しいとは言えません。また照明のない棚は下の段になるほど暗くなり、収納物がよく見えません。照明を使わずにキャビネットの内部に光を呼び込み、収納された食器や書籍を美しく引き立てられるように、前後、両側面、天井面の5方向全てをガラスにしました。またW1400とW2200のキャビネットには前面と背面に引き戸を採用しました。引き戸は古くから日本家屋の空間を間仕切る襖や障子の仕様です。
キャビネットのフレームには、冬の寒さに耐え、緻密に育った北海道産のナラ材を使いました。フレームの表面に緩やかな曲面を形成することで、全体に柔らかな表情と硬質な素材感を共存させて、伝統的な木工技術である三方留で組み上げています。チャコールグレーの仕上げは木目がわずかに確認できるくらいの墨色です。白木の木造建築が時を経て黒ずんでゆくような、水墨画を思わせる墨色をイメージしています。また、ガラスにはキャビネット全体を薄いグレー色で包み込むスモークガラスを採用しました。収納された食器やオブジェ、書籍などがグレーのガラスの奥に浮かび上がり、そのシルエットが空間に豊かな情感を漂わせます。キャビネットの内部にはカトラリーなどの小物を収納するための2段の引き出しを設けてあります。この引き出しは箱状になっているので箱ごと取り出して使うことも可能です。
Silent drawer はタイムアンドスタイルの考え方を象徴する収納のための家具です。居住空間の中に効率的かつ機能的に収まり、空間を構成する床、壁、天井の延長線上に存在することを定義としています。存在感を消しながら必然的な存在となる、この相反することが空間の中で長く必要とされる家具の基本的な在り方なのではないかと考えます。
Silent drawerは洋服や食器、書類など、様々な用途や目的に対応できるようニュートラルに作られています。シンプルな手掛かりを無垢の前板に彫り込むことで毎日使用してもストレスのない機能的なデザインにしました。また、キッチン収納にも使われる、重量物の荷重にも耐えるスライドレールを採用しています。キャビネットは日々の生活の中で何度も開閉したり、重量のあるものを長期間保管し続けたりするため、十分な機能性と耐久性が求められます。デザインはSilent cabinetと同様に、無垢材のフレームの表面を円弧状に削り、全体に柔らかな印象を持たせています。日本の古典建築の構成を家具のスケールへ落とし込み、ドロワーをフレームで囲むことで収納部分を建築の居住空間に見立ててデザインしました。
友人を自宅に招き入れ、彼らのコートをハンガーに掛けてSilent wardrobe の中へ入れて静かに扉を閉じる、すると彼のブラウンのコートと彼女のイエローのコートは濃淡のあるグレーのシルエットだけとなり静かにそこに残る̶、そんなイメージでこのワードローブキャビネットを作りました。
ナラ材のフレームの表面は緩やかな膨らみを持たせ、底面以外の5面にはグレーのスモークガラスを採用しています。2枚扉の引き戸はフレームの上下に溝を彫り、そこにガラス扉をはめ込む、襖や障子に用いられる古典的でシンプルな機構です。
モダンな存在感を持つキャビネットと引き戸を組み合わせることで、引き戸のスペース効率の良さが生かされた、新しいキャビネットの在り方を提案しています。下方にあるドロワーには日常使いの鍵や財布などの小物を収納することができます。来客用のコートハンガーとしては、1枚扉の小さなタイプがエントランスなどの小スペースに適しているかもしれません。チャコールグレーのナラ材のフレームとドロワー、そして全体を覆うグレーのスモークガラスのワードローブは、様々なシーンの中で、どんな洋服を収納しても静かな存在感で佇みます。
雨の多い日本では、屋根を大きく伸ばして軒を長く取り、厳しい風雨から建物を守る工夫を施してきました。木造建築の技術は大陸から伝来してきたものですが、日本の社寺仏閣の屋根が大陸の建造物よりも軒が長いのは、日本の風土を考慮して作った往時の大工たちの工夫によるものであり、この姿は日本建築の大きな特徴となっています。
昔の日本では、どんなに小さな住居にも庭が設けられていました。庭には木々を植え、大小の石を配し、小さな池には鯉を遊ばせていました。こうした庭は景観のためだけに存在したのではありません。日本人は直射日光が住宅に入り込むことをあまり好まなかったため、庭から反射してきた間接光を室内に引き込む工夫をし、その優しい日差しを生活のあかりとしていました。日本家屋の中は、繊細な格子の障子で各部屋が間仕切られ、穏やかな天候の日には、障子1枚だけで室内と外を隔てました。庭から照り返す鋭い日差しは和紙を通して拡散され、優しいあかりとなって室内に溢れます。そして庭の木立を抜けた木漏れ日が、ゆらゆらと揺れながら幻想的な景色を障子に映し出します。
Komorebi は和紙を通したあかりが室内に優しい陰影を作り出すような、静かな情景をイメージして製作しました。伝統的な障子の美しい比率をモチーフとした格子の意匠が、日本らしい簡潔な美を浮かび上がらせます。
日本の伝統的なあかりはその特有の文化や歴史、生活習慣を表現しており、人々の精神性と結びついた日本の生活文化の貴重な資産と言えます。灯火器は地位の高い人だけが使用する道具でしたが、江戸時代になると広く庶民の間にも浸透してゆきました。行燈は、京都では丸く柔らかい形のものが多く、江戸では四角い形のものや光量を調整できる有明行燈、名古屋では木台の上に鉄の四角い火袋を乗せた名古屋行燈など、時代や地域により、様々な形のものが作られました。現代では一般家庭で見かけることはほとんどなくなり、旅館や料亭といった純和風の室内で白熱球やLEDを光源とした行燈が使われています。
家具や建具、階段、家庭内で使用する道具類などの細かな木工加工を担う指物師という職人がいます。日本の指物師の歴史は平安時代の貴族文化に起源を持ち、京指物や奈良時代に遣唐使によって伝えられた唐木指物は安土桃山時代に茶の湯文化や書院造の隆盛とともに発展し、長崎や大阪へと広がってゆきました。江戸では徳川幕府が全国の職人を呼び寄せて江戸指物が興されました。木材と木材を接合するための仕口を加工して美しく強度の高い品物を作る仕事であり、こうした指物師や建具師たちの繊細な技術なくして日本の木工文化の躍進はありませんでした。
Bombori は秋田杉の無垢材の木枠に美濃の手漉き和紙を貼り込んでおり、電気部品以外は全て往時と同等の本質的な素材が使用されています。伝統的な照明の正統な佇まいを備えながら、モダンな空間の中にも違和感なく存在することができるように無駄な装飾を省き、素材が持つ存在感を大切にしました。機械生産では決して成しえない、手仕事の繊細さと作り手の情熱が凝縮した照明です。
夜、日本の古い街並みや社寺仏閣での祭事では優美な草木の絵を配した風情豊かな提灯が用いられてきました。提灯の大きな特徴は火袋と呼ばれる本体を小さく折り畳めることです。火袋は1本の竹ひごを螺旋状に立体的に組み、その上に和紙を貼ります。現在では竹ひごの代わりに金属や樹脂のワイヤーが使われることが増えました。火袋を製作するには木製または金属製の原寸の製作型が必要になります。提灯を製作する上で重要なポイントのひとつが、和紙を貼り終わった後に、火袋の上下の小さな開口部から内側に残った型を取り出せるように予め計算された型を作ることです。まず、製作型を組み上げて立体的なアウトラインを作り、そこにひごを螺旋状に巻きつけます。和紙は正確に裁断され、ひごの上に1枚1枚立体的に貼り込まれてゆきます。経験豊かな職人が隣り合う和紙の重なり具合を見極め、余分な和紙を剃刀で丁寧に切り落とします。こうして火袋が完成したら、製作型を火袋の内部で分解し、品物に傷をつけないように慎重に取り出すのです。
Lanternに貼っている和紙は島根県で作られる石州和紙です。この手漉きの和紙は日本で収穫できる上質な楮を甘皮ごと使用し、全て手作業で製作されるとても丈夫な和紙です。提灯の産地のひとつである岐阜県では、先祖供養の仏事であるお盆の時期に使用する盆提灯が多く生産されてきました。盆提灯の火袋には多様な形式があり、Lanternは品位ある古典的な形状を直径1mという大きなスケール感で表現しました。
日本は国土の70%を森林が占める、先進国の中では有数の森林大国です。日本の文化は木の文化であると言われるように、日本には古くから木工に携わる仕事が多くありました。宮大工、指物師、建具師、漆職人、そして家具職人。庶民の住居に家具が置かれるようになって150年にも満たない日本ですが、古より木とともに生きてきた祖先の記憶が日本人の身体に継承され、日本各地に家具づくりの高い技術が育っています。飛騨高山、静岡、徳島、広島・府中、福岡・大川、そしてタイムアンドスタイルの自社工場がある北海道・旭川も日本を代表する家具の産地です。旭川は1年の半分近くが雪で覆われ、氷点下20℃を下回る日もある厳しい気候ですが、豊かな森林資源に恵まれています。開拓の手が入らずにほとんど切り倒されることがなかった原生林の一帯も広く残っています。旭川では、この環境を生かして木工産業の推進を図り、今から約130年前に家具づくりが始まりました。北海道が位置する北緯43~45°は「世界的温暖広葉樹地帯」と呼ばれ、世界的に良質な広葉樹が育つと言われています。ヨーロッパや北米、中国、ロシアと並び北海道北部はまさにその恵まれたエリアにあたります。北海道の林は針葉樹と広葉樹が混ざる針広混交林であり、様々な樹種や樹齢の木々が混ざることで多様な生態系が生まれて豊かな林が広がり、ミズナラ、シラカンバ、山桜、カラマツ、トドマツ等々、多種多様な樹種が育っています。
Time & Style Factoryはこの自然豊かな北海道の地に、2008年に設立されました。自社工場の設立前は全国各地の協力工場に製品の製造を委託していました。しかし委託製造を続けていても、デザインの技術力や商品企画力は自分たちの手元に蓄積されますが、製造上の技術力は委託先の工場に蓄積されるのみで、タイムアンドスタイルの力の向上には至りません。そこで、製品を真の自社製品とするために自分たちの手で製造する工場が必要であると考えました。製造面での経験や技術を蓄積してゆくことで、品質の向上という本質的な課題に向き合えるからです。製造の経験が皆無でありメーカーとしての先入観や効率優先の考え方を持っていなかったからこそ、それまでの委託製造では挑戦できなかった、手間暇をかけた複雑な構造の製品や素材開発など、根本的な課題にも取り組むことができるようになりました。現在では丸太の仕入れから製材、乾燥、木取り、木組み、研磨、仕上げに至るすべての工程を一貫して自社内で行っています。山から伐り出した丸太が土場に届くと1本1本の年輪を数え、その木がどの地域で育ったものなのかを記録します。市場に流通している木材は定形の厚みや長さであることが一般的ですが、自ら製材することで製作する品物に合わせた必要なサイズに効率よく切り分けています。樹齢100年、200年と、私たち人間の一生を優に超える長い時間をかけて育ってきた木材を無駄にすることなく使用できるのです。
Time & Style Factoryでは伝統的技術から多くを学び、職人による手仕事と新鋭の機械での加工を交えて独自の高品質な製品を作り出せるよう、次世代を担う10代の若者から60代の円熟した職人たちがチームとなり、日々ものづくりに向き合っています。