奈良県・吉野には、何百年にも渡って守り続けられている森がありま す。多湿な環境にも恵まれ、まっすぐで緻密な木目を持つ吉野杉は、城や寺院の建築材として、または醸造用の樽や桶の材料として重宝されました。80 ~ 100 年という長い時間を掛けて、太く、美しい杉へと育てる吉野の森は、人々の営みを支える産業としてだけでなく、この地を守り続けている人々にとって心の拠り所にもなっています。
桶や樽は、家庭で水や湯を汲んだり、溜めたりする小さなものから、 酒や醤油の醸造に使われる大きなものまであり、今日に至るまで日本文化に根付いている生活の道具です。
桶は、材料を作る樽丸職人(桶や樽の木の材料を樽丸と言います)とその材料を使って桶や樽に仕上げる桶結師によって作られます。樽丸職人は、木の個性を見抜き、板の表情が最も生きるように手で削り、次の工程を担う桶結師へ材料を渡します。桶結師は、桶を立てる際 (曲がった板を組みあわせ桶の側板をつくること)、組み上げて、箍 (たが) で巻いて締めます。その後、底板をはめ込むことで箍 (たが) がしっかり締まり、完成します。
板と板を隙間なく立てることは高い技術と丁寧な研磨の繰り返しに よって作られます。歴史ある木製のものは、道具として理にかなったつくりで、修理をしながら長く使い続けることができ、直しながら使い続ける日本の文化を表した道具です。
私たちは日本の家具メーカーとして、桶を再解釈し、日常の中に溶け 込む家具が出来ないかと考えました。意匠として上下を留加工し蓋を被せ、仕口をシームレスにみせることで、桶のアイコニックな形としました。 傾斜のついている側板に対し、上下に留加工しピッタリと納めることは 非常に高い加工精度と熟練した技術が求められる工程です。桶は一見、 正円に見えますが、完全な円ではないため、蓋を入れた後、1 点 1 点、手鉋で削り、留部分の調整を丁寧に行います。留加工は何度も試作と検 証を重ねたことで、一体感のあるプロダクトが完成しました。
家具には、楢や欅といった硬くて丈夫な広葉樹が多く使われますが、 日本の国土の多くを占める針葉樹である杉を使った家具づくりは、私たちに新しい視点を与えてくれました。杉の温かみのある質感や軽やかさは空間に心地よい間合いを作ります。
Oke
Low table
φ38×H50 cm
Cedar – Natural white
BDTT-771
Oke
Low table
φ45×H37 cm
Cedar – Natural white
BDTT-773
Oke
Low table
φ41×H43 cm
Cedar – Natural white
BDTT-772
Oke
Low table
φ60×H35 cm
Cedar – Natural white
BDTT-774
日本全国には70,000以上の寺院があると言われています。インドを起源とし中国で開花した仏教は1,500年ほど前に大陸から海を渡って日本へと伝えられました。また中国で文化や思想を学び日本へ戻った使者によって、建築、美術、工芸などの技術が日本全国に広められました。706年~849年ごろ、島根県東伯郡の三徳山三佛寺の境内に複数の寺院が建てられました。その最も奥まった絶壁の窪みに、懸造りで建てられた投入堂というお堂があります。垂直に切り立つ岩肌に建造物を建てることは大変困難で危険を極めたであろうことが容易に想像できます。同じ境内にある地蔵堂と文殊堂の柱は垂直な支柱と水平な貫がほぞで繋がれており、その構造美は目を見張るものがあります。この三徳山三佛寺のような、美しい自然の中の絶壁にいくつかの寺院が建ち並ぶ姿をイメージして、6種の異なるサイズで構成されたローテーブルのコレクションを製作しました。
ローテーブルを日本の古典的な木造建築に見立て、4本の細く長い脚の上に天板が乗る構造にしました。天板を支持する縦方向の脚と横方向の貫は、検証を重ねて27mmという太さまで絞り込みました。脚に開けた穴に貫を差し込み、縦横の部材がぴたりと揃うほぞ組という木組の方法で組み立てています。ほぞ組を綺麗に仕上げるには、最後の加工を全て手作業で行わなければなりません。木軸パーツを使用したダボ組のプロセスの何倍もの手間と時間が掛かる作業です。また、天板の縁を緩やかに立ち上げることで蓮の葉のようなこぼれ留めを施しました。無垢板を削り出して天板全体の一体感を保ちながら、個性的な表情を加えています。天板は大きなものから小さなものまで様々なサイズを揃えました。高低差もあり、それぞれの天板面が重なり合って、表情豊かな景色を描き出します。古典的な木造建築の要素をローテーブルに取り入れることで、その佇まいに繊細な構造美を表現しました。
約2,700年もの間、日本では天皇家が万世一系を維持し、一度も王朝を交代することなく続いてきました。ローマ帝国でさえも1,000年の歴史ですから、日本の天皇家が世界最長の王朝としてどれだけ長く日本を治めてきたのかがわかります。天皇の存在は日本の起源と歴史そのものです。天皇家とその王朝が2,700年も存続してきたことは、現在の日本文化を語るときにも、避けて通ることのできない文脈となっています。
直径と高さが異なる、丸い小テーブルをいくつも置いてゆくと不規則な配置の中にも規則性のある美しい繋がりが生まれます。それぞれのテーブルは重なり合って連なり、この小さなテーブルの繋がりが大きな流れとなる様子から、Imperial familyと名付けました。単体でサイドテーブルやローテーブルとして使用することもできますが、組み合わせることで多様なしつらえが可能になります。全ての部材は無垢の木を削り出して作られています。無垢材は湿度や温度の影響を受けて必ず伸縮したり反ったりするので、その変化を少しでも抑えることが重要です。天板の縁を食器のリムのように繊細に削ってこぼれ止めの役割を与え、神聖な蓮の葉のような印象に仕上げています。
近代の日本の住居において、最も多く使われてきた家具が「座卓」という高さの低いテーブルです。床に敷かれた畳の上に直に座る日本人の生活に、座卓は欠かせないものでした。日本の座卓のデザインには中国の明朝の影響を受けたものが多く見られます。それは盆栽や生花をしつらえるための高台が明朝の家具の様式に由来するからだと言えます。盆栽も元々は中国から伝来したものですが、時代が経過し日本で独自の盆栽文化が開花しました。日本に伝来してきた多くの外来文化は、そのほとんどが日本独自の形式へと進化を遂げています。
日本家屋には「座敷」と呼ばれる畳を敷き詰めた客人をもてなすための大きな部屋があり、その中央には座卓が置かれていました。座敷には床よりも1段高く作られた床の間という小さな空間が設けられています。床の間とは花を活けて掛け軸を掛け、季節のしつらえで客人をもてなす、日本家屋独特の空間です。主人が趣向を凝らし、季節や歳時にまつわる植物や品ものを飾って客人を迎え、客人はそのしつらえから主人の感性を読み解きます。現代の日本の住まいはそのほとんどが西洋式のスタイルに変わり、座敷の位置付けはソファが置かれるリビングルームへと移り変わってゆきました。それは近年まで続いていた日本の古典的な客間として存在した座敷の名残が現在でも感覚的に続いているからかもしれません。現代の日本の住居には1部屋だけ古典的な畳の部屋が残されていることがありますが、それは日本人が客人を迎えるための部屋と言っていいかもしれません。
Moonはモダンな存在感の中に優しい木の表情と触感を感じることのできるローテーブルです。日本家屋の座卓としても現代的な柔らかい表情の家具と言えます。
Moon
Square low table
W160×D160×H35
Oak – Charcoal grey
BDTT-206
Moon
Round low table
φ160×H35
Oak – Charcoal grey
BDTT-210